競業避止義務・秘密保持誓約書にサインを求められたら
退職手続きの最後に「これにも署名を」と誓約書を差し出されることがあります。 同業他社に転職しないこと、業務で知った情報を漏らさないことを約束する内容です。 その場で読まずに署名してしまいがちですが、退職の手続きとして法律上必要な書類ではありません。 何を約束することになるのかを確認してからで間に合います。
このページで参照している法令・資料
- 日本国憲法22条1項(職業選択の自由)
- 不正競争防止法2条6項(営業秘密の定義)
- 労働基準法16条(賠償予定の禁止)
- 労働基準法22条(退職時等の証明)
- 厚生労働省 総合労働相談コーナーのご案内
出発点は職業選択の自由
日本国憲法22条1項は、何人も公共の福祉に反しない限り、 居住、移転及び職業選択の自由を有すると定めています。 退職した後にどこで働くかは、本来自由に決められることです。
競業避止義務の定めは、この自由に制限を加えるものです。 そのため、会社が守ろうとしている利益と、 労働者が受ける制限の重さが釣り合っているかという観点で見ることになります。 制限される期間が長く、範囲が広く、 代償となる措置もない定めほど、負担が労働者側に一方的に生じます。
「営業秘密」には条文上の定義がある
秘密保持の対象として書かれる「営業秘密」は、 不正競争防止法2条6項に定義があります。 次の3つをすべて満たすものが営業秘密です。
1. 秘密として管理されていること
条文の文言:「秘密として管理されている」
アクセスできる人が限られている、秘密である旨が示されているなど、秘密として扱われている実態があること
2. 有用であること
条文の文言:「事業活動に有用な技術上又は営業上の情報」
生産方法、販売方法その他、事業活動にとって役に立つ情報であること
3. 公然と知られていないこと
条文の文言:「公然と知られていないもの」
刊行物や業界で広く知られている情報、誰でも入手できる情報は含まれない
誓約書に「業務上知り得た一切の情報」と書かれていることがありますが、 条文上の営業秘密はここまで広いものではありません。社内で誰でも見られる状態に置かれていた情報や、業界で広く知られている情報は含まれません。 また、その職場で身につけた一般的な知識や技能は、本人に属するものです。
署名の前に確認する5つの点
1. 制限される期間
退職後いつまで制限されるのか。期限の記載がない、あるいは長期にわたる定めは、退職後の働き方を広く縛ることになります
2. 制限される範囲
同業他社への就職すべてなのか、特定の業務や取引先に限られるのか。地域の限定はあるか。「一切」「すべて」といった書き方は範囲が特定されていません
3. 守るべき情報が特定されているか
何を秘密として扱うのかが具体的に書かれているか。「業務上知り得た一切の情報」では、公知の情報や自分の技能まで含まれかねません
4. 代償となる措置があるか
制限の対価としての手当や退職金の加算があるか。在職中にその趣旨の処遇を受けていたか。何の代償もない制限は、負担が労働者側にのみ生じます
5. 違約金・賠償額の定めがないか
あらかじめ金額を決めておく定めは労働基準法16条が禁じています。金額の記載を見つけたら、その場で署名しないでください
その場で判断できないときは、「持ち帰って確認します」と伝えて構いません。 控えをもらい、次の職場が決まっている場合はその業務内容と照らして読んでください。
違約金の定めは労働基準法16条の問題
誓約書に「違反した場合は◯◯万円を支払う」と金額が書かれていることがあります。 労働基準法16条は、使用者が労働契約の不履行について違約金を定め、 又は損害賠償額を予定する契約をしてはならないと定めています。 実際に損害が生じたかどうかを問わずにあらかじめ金額を決めておく約束が、 この規定が禁じているものです。
金額の記載を見つけたら、その場で署名せずに相談してください。 考え方は研修費・資格取得費用の返還を求められたらと共通しています。
署名しなかった場合にどうなるか
誓約書への署名は、退職の効力とは無関係です。 期間の定めのない雇用は、解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了します(民法627条1項)。 署名がないことを理由に退職日が動くことはありません。
署名の有無にかかわらず会社が行うこと
- 賃金の支払い(請求があれば7日以内。労働基準法23条1項)
- 離職票の手続き(希望する場合。雇用保険法施行規則7条)
- 源泉徴収票の交付(退職の日以後1か月以内。所得税法226条1項)
- 退職証明書の交付(請求があれば遅滞なく。労働基準法22条1項)
これらは会社の義務であり、誓約書と引き換えに行われるものではありません。 交付されない場合の対処は源泉徴収票がもらえないときと離職票が届かないときの対処法をご覧ください。
在職中の契約や就業規則も確認する
退職時の誓約書に署名しなかったとしても、 入社時に締結した契約や就業規則に競業避止・秘密保持の定めがある場合は、 そちらの効力が別に問題になります。
自分が何にいつ同意したことになっているのかを確認してください。 就業規則は労働者に周知されているべきものなので、 在職中であれば閲覧を求めることができます。 退職後に確認が必要になった場合は、労働基準法22条1項に基づく退職証明書で、使用期間・業務の種類・地位・賃金・退職の事由について証明を受けることができます。
よくある質問
Q. 顧客リストを持ち出さなければ問題ありませんか?
データや書類を持ち出さないことは大前提です。 顧客情報が秘密として管理され、有用で、公然と知られていないものであれば、 不正競争防止法2条6項の営業秘密に当たります。 私物の端末への保存、私用メールへの転送、印刷しての持ち帰りはいずれも避けてください。 在職中に使っていた機器やアカウントは、退職時に返却・削除の手続きを済ませておきます。
Q. 前の職場で覚えた技術を使うことも禁止されますか?
職務を通じて身につけた一般的な知識・技能・経験は、 その人に属するものであり、営業秘密とは区別されます。 誓約書が「在職中に習得した知識の使用を禁止する」といった書き方になっている場合、 その範囲が営業秘密を超えて広がっていないかを確認してください。
Q. 転職先を聞かれたら答えなければいけませんか?
答える義務はありません。 退職後にどこで働くかは職業選択の自由に属することで、 退職の手続きに必要な情報でもありません。 なお労働基準法22条3項は、退職時等の証明書について 「労働者の請求しない事項を記入してはならない」と定めており、 同条4項は、あらかじめ第三者と謀り労働者の就業を妨げることを目的とする通信等を禁じています。